私達は何事にも真剣に取り組み、常に成長を求めていきます。生きていくうえでいろんな壁が立ちはだかってくるでしょう。しかしどんな大きな問題でも真正面から受け止め全力で立ち向かって生きます。不器用でも賢くなくてもいい、いつでも一生懸命で家族に誇れる生き方をしていたいと思っています。
自分達に与えられたミッション(使命)のもと、常に明確で高いビジョン(目標)を掲げ、パッション(情熱)を持って取り組みます。私たちの最大の価値は、自分たちの存在や影響によってお客様が幸せな人生を送ることです。
自分なら「もっと安くていい工事やサービスを提供できる!
私は幼少時代より貧しい家庭環境に育ちました。奨学金を受けながら高志高校を卒業し、推薦で関東学院大学に入学しました。実家の経済的な事情により1年で中退することになりその後、まともに就職活動も出来ずに仕事に付くことになりました。「自分が何をしたいか?」と言うこともわからないまま、早く仕事に付く必要がありました。
そんな中でひとつだけ強く思っていたことがありました。それは私が「家族」を持ったときに「妻や子供たちに私と同じ思いはさせたくない!」ということです。
当時19歳で世の中のこともほとんど分からない私は、
「お金に不自由しない生活」=「お金持ち」=「社長」
と言う図式を描いていました。スーツを着るような仕事は「自分の性に合わない」と思っていたので、スーツを着ないでしかも低資本で独立できる仕事を探したところ「職人」と言う職種に行き着きました。事業所を選んでいる時間は無く、職業安定所の紹介ですぐ修行に出ました。
建築職人として6年間の修行後、下請け職人として独立しました。独立したといっても、特に元請け会社(ハウスメーカーや建築会社)とのコネがあったわけではなく、仕事を取るために元請け会社へ飛び込み営業の毎日でした。当時25歳だった私は、なかなか相手にしてもらえずたいへんだったのを覚えています。
創業当初から「お客様第一主義」をモットーに、小さなことからまじめに取り組み、熱意を感じてもらえたのか、少しずつ仕事が入ってくるようになりました。評判が評判を呼び1人では手が回らなくなるようになり、1人ずつ若い衆(社員)を雇い常用職人も含めると15人まで雇用してきました。
組織が拡大するにつれ「お客様第一主義」にそむかない社員や協力業者との葛藤、仕事仲間の裏切りなど、何度もたいへんな思いをしましたが、それでも「お客様第一主義」を貫き通し、どんな問題も逃げずに乗り越えてきたことを今でも誇りに思っています。
個人事業所から会社へとの変更もあり、近年1人・2人でやるのが当たり前の地元下請け施工店の中では有名な事業所になりました。
軌道に乗ってからは仕事を断るほうが多くなりました。生活に困るようなこともまったく無く、この頃には「貧乏コンプレックス」もほとんど無くなり順調に行っていました。
しかし、仕事を通じていろいろな元請け会社(ハウスメーカーや建築会社)の社員と仲良くなっていくと、その会社の中身まで見えてきました。そこには元請け会社の収益や体裁ばかり気にして、肝心のお客様の「想い」や「気持ち」は完全に軽視されている現実がありました。
同様に下請け職人に対する存在価値も軽視していました。中には裏金を要求してくる者もいました。その裏金はお客様の「現場の予算」から出てくる物です。
お客様にとって家を新築・リフォームすることは一生に何度もあることではありません。そのお客様の「夢」を軽視し、「夢」を実現するために必要な職人さんの存在さえも軽視し、しかもその「夢」のために何年、何十年とローンを組んだお金の一部を自分のポケットマネーにしようとする社員がいる会社の体質にひどく嫌気がさしてきました。
このような現実に直面するたびに、「このままではだめだ!」自分なら「もっと安くていい工事やサービスを提供できるのに・・・。」という思いがだんだんと強くなっていきリフォーム事業部を開設することとなりました。
リフォーム・増改築業は何かあったらすぐ駆けつけられるよう、「地域密着」を重視し、来るまで30分圏内を営業エリアとし運営しています。
おかげさまで今ではご紹介やリピート工事、さらにお礼のお手紙などもたくさん頂けるようになりました。これもひとえに地域の方々のおかげだと感謝しております。
今後も創業当初からのモットー「お客様第一主義」を貫き通し、お客様の「想い」を最高の形で実現するために精一杯、努力していきます。
そしてお客様はもちろん、協力業者、職人、会社、社員、その家族、この事業に関わるすべての人が幸せに暮らしていけるような経営を目指していきます!